2005/7/29(金)
昨年の新潟地方は、夏の豪雨と秋の地震があった。夜中の関越高速を小出で下りしばらくすると、あの長いシルバーラインのトンネルです。「地震で大丈夫だったんだネ・・」などと話してる間に、ダムサイト駐車場に到着した。
今回の釣行は暇人会の5名と、他会より4名の合同釣行である。仮眠を取り空が明るくなった頃、他会メンバーの方々が「すっかり酔っぱらったよ、ここに居たの!」と、ずーと下の駐車場より姿を現わす。さあ!全員集合出発である。
天気は(今のところ)ひじょうに良い。袖沢の水量は明らかに多く。そして、林道には地震の為か一ケ所土砂崩れで道が押しながされていた。今でも残る雪渓
をみて南沢にて大休止する。事前の予定どうり他会の方達は1泊のみとの事。テン場をそれらも考え何処にするか相談する。結局、白戸川(メルガ股沢)に降り立って考える事となる。
再び歩き始めて20分、北沢手
前の小さな沢に取付く。その直前、袖沢の渡渉はザイルを出した。小沢のしばらくは緑の樹々のトンネルの中を歩くようだ、そして斜度が増して来て、1時間半
ほどし滝が多くなり、その幾つめかの滝手前(滝壷状の)右手より小沢から離れ草木をつかみながらの急登が始まる。乗っ越し手前の薮の中で全員汗ダクになっ
てへたり込む。ブナの大木が見事である。
『良い山だ・・』と誰かの口からもれた。間違えぬようもう一息だ、そして、乗っ越しに順調に出た。白戸川側を慎重に探し、他会の目印テープを確認し休まず下る。下降30〜40分だ!
そうして列が間延びしたまま、先頭の「着いたぞー」の声が聞こえた。そこは歩き下った小沢がメルガ股沢左岸に直接4〜5メーターの滝となって落ち込む(つまり)滝上である。
水の不便は無いが3名がやっとの狭いスペースだ。「もう少し良いテン場があるだろう!」と懸命にあたりを探す。上流の左岸に昔からあると云われるテン場
を見た事があるが・・、ともかく明日以降は雨の確率が高い。逃げ帰るにはこのテン場が最も良い。幸わい顔が見える直ぐ上に3名が横になれるスペースが、ど
うにか確保出来た。
全員今夜はここに「決まり」となる。
午前10時頃に着いて、午後1時にはのんびりと落ち着いてしまった。この頃より、酒をなめ始める者や昼寝をする者や釣りに行く者と、暗黙の自由時間となる。メルガ股沢の此の辺は上流域で川幅は狭い。川の様子は雪が多かった為か大変冷たく水量も多い。
「魚は居るけどちっちゃいネ」と
釣り組が戻って来た。明るい内から一つタ−プの下に固まり宴会が始まった。次々に出来上がる料理だがテン場が狭く斜の為、置き場所に苦労する。ウドの三杯
酢は銀マットに隠れ、岩魚の空揚げが皿から飛び出る、何本もある酒のペットボトルも手が触れたものより飲んでいった。暗くなりかけた外は雨が本降りになっ
た。酔っぱらった全員に宇都渓の上田勉さんが作った「仕上げは谿のカレーライス」を大鍋よりご馳走になりました。
ハマナベさんが、上のテン場に上がれず「誰かケツを押してくれ!」と叫んでる。
我々下の5人組はどうしても低い方に寄ってズリ下がる、夜中に何度這い上がりをくり返した事か、それでもしっかり10時間は寝た様だ。
2005/7/30(土)
翌日は朝には他会のメンバーと別れる。我々は下流に行ってみる事にした。天気は回復し青空である。途中めぼしいテン場をチェックしながら歩く。幾つもあるもので、そんな所は決まって大木に古い鉈目が見られた。
川は下る程に広くなり中の沢を過ぎたあたりで、腰を下ろしてのんびり釣りの準備をする。これより引き返し釣りを楽しむ事にする。交互に竿を振る、どうも毛針には反応が悪い様だ。
そんな中、新人の豊田さんがデカイ奴を仕留める。
後ろから「いいか豊田バラすなよ!頭ひっぱたくカンな」下田会長の檄が飛ぶ今釣行での大物だ「竿を立てろ!陸側に引きずり上げろ!」尺1寸の岩魚であっ
た。ところでその証拠写真現場のやり取りはいつも面白い。周りの仲間の口惜しさと微妙なネタミが入り交じり「顔が引きつってるよ」とか「魚をうんと前に突
き出すんだよ」とか「魚の下顎を持て」とか、ある時は腰から下げてる有名安売り店のポリ袋を「隠せ隠せ」と云ったりと言葉が飛び交うのだった。
予定の3時にテン場に戻るとすぐに雨が降って来た。明るい内に宴会になる。朝、帰った人達が置いて行った食料とお酒も加わり、私は今夜も酔いつぶれた。
2005/7/31(日)
3日目、テン場を撤収。今日も朝になると晴になった。やって来た道を戻ります。峠の乗っ越しには、檜枝岐村の職漁師平野惣吉氏の彫ったと思われる鉈目「惣吉」を皆で撫でり写真を撮ったりする。「間違い無いだろう!」白日社の本*に書かれているとおりだ。そして、そこにも出て来る「シゲエモン沢」をゆっくり下る(ただし、南沢の小屋は無くなりました)。
午後2時、炎天下のダムサイト駐車場に到着した。
食べごろのウルイやウドも少しは持帰れた。メジロ虻がまったく見られませんでした。
*白日社「イワナ・源流の職漁者」p147参考。
|