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■2010/07/22〜29日

八久和川釣行

参加者:新発田(記)、金田

 

金は無いが時間は程々ある暇人2名は、この際だ「八久和へ行こう!」と決まった。渓流釣りあこがれの地「八久和川」私にとって行けるチャンスはないと思っていた。話しが決まって一週間、地図や資料を集めているうち次第に面白さが増してくる。同行する金田も同感のようで電話のやりとりも活発になる。
これだけ日数があれば「下から上(源流)まで」行けそうな気もしてきた。ただその呂滝上の中俣沢を詰めるという大風呂敷(計画)は入山2日目あたりで、我々初見の者には力不足だと思い知らされる。

入山一日前、東京を夕方出発。東北道より山形・月山方面に車を走らせた。

一日目(22日)晴れ

朝まだ暗い3時頃、車にガソリンを補給したいのにスタンドが閉じている。遠くに来たものだ。カーナビがないので地図帳頼りだ。月山、湯殿山・・・あたりか?!。高速道をそのまま鶴岡インターまで行ってしまう。結果ギリギリ、セーフした。
コンビニだってここまで来ないと無い地域?だった。

外が明るくなる。
まずは下山口と設定した東大鳥川、泡滝ダムに自転車をデポする。すぐUターン、八久和峠より八久和ダムの入山口に移動(ほぼ計画通り)到着した。想像以上にひっそりした車止めだ。



異常に重いザックと思いつつ、一週間が始まると感じた。道幅が狭くなり杣道と呈して片斜面がきつくなる、そのまま左岸道は続いた。八久和川が見えたり沢音も時々すると慰めとなる。私はすでにザックが重くてしょうがない。
フタマツ沢を越え川に降りるはずだが、路が分からなくなる。倒木のせいだった様で、しばらくさまよって『二松下ル』の切り付けと赤テープを見つける。八久和に降り立ちホッとすると同時にこの先、大丈夫か?と自分を思った。パートナーの金田はその点元気で、ザックのままテンカラ竿を振り出した。この先カクネ小屋跡までは無理と決め込む。それでも川伝いを進めるだけ歩いた。15時ころ心地良さそうな砂原をテン場と決める。
私はこのクソ重い荷は米と酒のせいだと思い。飯盒に4合いっぱいを炊き、酒を多めに飲んだのだった。

(「二松下る」の鉈目)

(下降地点)

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2日目(23日)晴れ

昨日から私は右足に靴ズレが出来てしまう。
1週間歩くのだからと新品沢靴を買ったのだった。事前の試し履きもして馴らしたのたが、片斜面で道が想像以上に悪すぎたのだろうか。
朝、痛む踵にテーピングをし、金田に幾らかの荷を持ってもらう。


すでに右岸の道に移る頃だが、川をそのまま遡上する。次第にそれは難しくなり、適当な小沢をよじ登るり運良く道を見つける。道は昨日以上に悪く不明瞭だった。幸い前日あたりに誰かが道を歩いて、所々トラロープを張って整備している気配があった。
カクネ小屋跡に着いてみると、無理に昨日、ここまで足を伸ばさないで良かったと思った。それほど時間を要した。この辺はいくつかのテン場跡が巨木の樹の基に見られた。その後、道を見失いながらも川に降り立った。単調な川原に昼食にする。金田が直ぐイワナを2匹釣って来る。どちらも尺近くでなんとも眼の大きなイワナが印象的であった。その場で刺身にし、昨夕の残りご飯弁当*で、いただく。その後はまったく釣れなく時間を無駄にした。長沢、芝倉沢を通過、薪の沢山ある砂地にテントを張る。快適な寝心地だった。(*毎日、朝昼晩の同パターンで夕方4合一回炊き、つごう20合を消化した)

(2日目の快適なテン場)

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3日目(24日)晴れ、曇り雨

天気予報では、午後より雨かも知れなかった(行動中の夕方まで雨なし)。
出発してすぐゴルジュや大淵が続き、左岸の登山道を思わせる巻き道で通過。一変して緑の渓谷の大プールが現れたりで素敵な溪相だ。


小国沢付近、左岸ヘツリ多用となる。竿を仕舞った途端イワナが多くなり型もデカイ。ヘツル足元に見え隠れする。おおらかな奴らで40センチはありそうだ。




これが茶畑沢かと右に見送り、左岸、右岸と移り大ハグラ滝を越える。それから1キロ先で、斜めの小滝(ルンゼ)を這う様に上へ上へと導かれる。まさかこれが巻きルートとは危険過ぎた!古いハーケンが2カ所にあったが、なんなのか?解釈出来ない。行き詰まった我々は気味悪ささえ覚え引き返す。もっと大きく同じ左岸を巻く。水の滴る壁をザイルを付け登る。ビレーヤーはヤブ蚊を払う事も出来ず我慢のしどころだ。上で巻き跡を見つけ下降出来た。時間は18時をまわる。適度なテン場が見つからずあせる。たぶん前方は自然プールと呼ばれる地点だと推測したが。それかすでに過ぎたのかも知れなかった・・・もうすぐ暗くなる。
やむなく砂地にビバークとした。急いで夕食を食べてるうちに雨になる。焚き火も消されテントにもぐり込み寝てしまう。夜中、雨がテントを時々強くたたく。川を見ると濁りが出て増水していた。あと40cm増えるとテントが浮くだろう。でも、なんとなく大丈夫だろうと思った。

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4日目(25日)雨のち曇り

夜中、なんどもテントから顔をだし水量を確認する。大石に小石を積み、今ある水位に棒を立て増減を見守った。そして、朝方には小雨に落ち着く。ところが明るくなると雨脚が強くなり。テント内二人で朝の準備中、外の見える金田が「来た、来た!」と云った様な・・・。私はコンロの上の雑炊が暖まる時で手が離せなかった。テント火災と火傷が危ない場面だ。水は一層濁り溢れかえり、川底の大石が音をたて始めたかと思うと、テントに水が来た。岩の高場に避難する。ひと段落して醒めかけた雑炊を立ったまま飲む様に二人で食べた。
水位は更に増し、荷物も上に持ち上げる。テン場の砂地は水流に隠れて見えなくなった。まったく!大丈夫ではなかった。釣りをやり過ぎてバチ(罰)が当たったのだ。せめて就寝中でなかった事に感謝した。



このままでは身動きが出来ない。
水も引きそうもなく、直ぐ上の草付きの崖をよじ登り樹林帯に入り1時間弱トラバースして上流に活路を求めた。はぼ見当通り平七沢出会いに出られた。もう、先には進みたく思わなかった。青空が出ていた。絶好のテン場であり、濡れものを広げる。今夜はここに泊まろう・・・ここが良い。

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5日目(26日)晴れ

(朝、平水の本流と平七沢)

朝、行動開始すぐ釣ながら歩き始めた。上の方から釣人も現われるかも知れない。登山道が横切る岩屋沢出合が近いのだ。下流部では人の靴跡を見たが姿を見ていなかった。そして想定通り天狗角力から降りて来たと云う2名に出会う。一人は相当疲れた様子、下流部に行くと別れた。
岩屋沢の対岸側(オツボ峰方面)の道はどれだかはっきりしなかった。やがて左岸側オツボ沢を跨ぎ一緒に滝も巻く(降り口がズレたみたいでザイルを出す)。



小マス滝は手前ウシ沢を廻って高巻く。その降り口が良いテン場で、ここで2泊すると決めた。一段下の河原で焚き火をして楽しむ。今夜も(食料が多過ぎて)沢山食べる。イワナはフライパンからはみ出て2等分にして炒める。焼酎もうまかった。

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6日目(27日)晴れ

重い荷は置き、今日は空身で呂滝詣でをする。釣りながらでも1時間と掛かるまい。
呂滝は大淵を持つと聞いていた。案の定,見事な大淵(大釜)だった。私はここでルアーをしたいと思っていた。
呂滝は青々した大淵から絞り込まれて小淵がオマケの様に付いていて、下流へと流れ出す。その部分は底が見えて浅い。流れに向い2匹の潜水艦みたいなイワナと、その子分が何匹かいた。テンカラで毛針を打つも底でジーッと動かない。そのうち前方大淵に消えてしまった。竿が折れるかなと、余計な心配をしてしまった。気持ちを切換え、私はここでルアーを出来るだけ遠くに投げた。下手な私では、とても滝柱まで届きはしない。山を描き中央にポトッと落ちた。巻くと6寸岩魚が2匹付いて来て、一匹が釣れてしまう。期待が一気にしぼんだ。その後反応なしだった。二人で1時間も居ただろうか?弁当にラーメンを食べた。偶然、潜水艦岩魚が大淵から浮上してきてびっくりする。まるでドジョウが息継ぎに上がって来た感じだ。毛針を同じ辺りを叩いたが反応なかった。テン場に戻ることにする。帰路釣った岩魚を回収し、串に刺しの焼きがらしを作ることにした。

まだ、夕暮れ前だった。薮の中から単独のつり人が現われる。天狗角力経由でウシ沢をダイレクトに降りて来たとの事だ。隣りの砂地にタープを張られた。すでに定年退職し悠々自適の九州・久留米の方だった。渓流釣りのベテランでO川氏といった。
八久和は7年ぶりとの事。ただしウシ沢下りは想定以上にキツかったらしい。その夜我々の焚き火に訪れ話しがはずんだ。膝の調子が気になるらしく、明日はとりあえず岩屋沢方面に一緒に下ることになった。

7日目(28日)晴れ一時雨

岩屋沢に近付くと、フライマンのグループに会う。4人組で東京からだそうだ。もう1グループが朝まで野営してたとか・・・。我々は出合で一泊することになる。大井沢に下るならO川氏が我々の車まで送って下さるそうだ。願ってもない提案を受けてありがたかった。私はO川氏より幾らか若いが長旅で疲れていて、ホッとした。

テン場は余裕がなく、O川氏のタープで一緒に寝ることにした。午後から暇になって。金田と私は下流へ釣り遊ぶことにした。結果、私はほとんど釣れなかったが、金田はさらに先を下り、行く程釣れたとかで数匹持ち帰る。
イワナは結局、緊急ビバーク3日目以外は、毎回夕食で料理したことになる。(刺身、蕗の葉ムニエル、フライパン炒め、焼きびたし、塩焼き、味噌汁のアラ煮)
米は3名の食べ残しを合わせたら三合になって、一緒に炊く。酒はギリギリなんとか足りた。
この夜一時雨が降り、足と頭を濡らす。それよりヤブ蚊にはまいったまいった。

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8日目(29日)曇り一時雨

(酒と食料は減った)長期釣行を考えると、これもあれも有ったほうが良い思考になって、持ち込み過ぎた。その点、大誤算だった。最後の朝のパッキングで思った事だが、着替えや衣類も多過ぎた。軽いと云っても、水気を吸ってしまうと重いのだ。極力切り捨てるべきだった。それにしても最近シビアな山行などしておらず、感がズレていた。

対岸のFFのグループがなんか言ってる。「もう一泊するなら酒が余っているんで、上げます!」との事・・・凄い馬力を感じてしまう(昨夜だったらもう少し飲みたかった)。
我々はビールだけは今回禁止した。ただし度数の強い蒸留酒だけにした。

歩き出し登山道を東に昇り詰めた。天狗角力取山には2時間半掛かった。力士の名には長過ぎるが良い名前だと思った。山頂からは、昔(私の若い頃)縦走した山々が見えた。以東岳から竜門山、大朝日山など朝日連峰だ。その景色は宮崎映画「もののけ姫」プロローグそっくりの雰囲気だった。


長い長い下りを終え、大井沢の車止めに無事帰って、一段落着く。
あとは自分達の自転車と車を回収する。以下省略する。
・・・ああ、実に年をくったものだ。と、自分自身を思っう釣行だった。



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